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大阪高等裁判所 平成3年(く)97号 決定

少年 K・T(昭46.8.9生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、少年、法定代理人親権者父K・H及び附添人弁護士○○連名作成の抗告申立書、右法定代理人及び附添人連名作成の抗告理由書、右附添人作成の抗告理由追加書及び抗告理由補充書各記載のとおりであるから、これらを引用するが、論旨は要するに、少年を中等少年院に送致する旨の保護処分をした原決定は著しく不当であるので、その取消を求める、というのである。

そこで、所論にかんがみ少年保護事件記録及び少年調査記録を調査して検討するのに、本件は、少年が実母宅において中学先輩の男性から覚せい剤を注射してもらったという覚せい剤使用の共犯事案であるが、本件の罪質、態様、少年の資質、保護環境及び非行・処分歴等、ことに、当時の少年の覚せい剤使用の頻度や態様からして少年の覚せい剤に対する親和性が急速に形成されつつある状態にあったこと、少年の非行の発現は小学生時代に始まり、以後度重なる非行とこれに対する処分の繰り返しを経て、現在は保護観察中の身であるにもかかわらず、保護観察を真摯に受けずに無為徒食の生活を送り不良交遊を続ける中で、本件非行に及んだこと、少年は自制力に乏しく刺激に即応して付和雷同的な行動に出やすい性格を有していること、少年の両親は離婚しており監護能力が乏しいことなどの諸般の事情に徴すると、所論が主張する少年の更生意欲や両親による環境改善の努力などの事情を考慮しても、少年に対しては、施設収容による矯正を図るのが相当というべきであり、してみると、少年を中等少年院に送致した原決定の処分が著しく不当であるということはできない。論旨は理由がない。

(もっとも、少年の覚せい剤に対する親和性は現段階ではまだそれほど根強いものとはいえないこと、少年の非行・処分歴は長いが、年齢的成長もあって、従前みられた野放図さがなくなり、次第に自重した生活を送れるようになってきていること、少年は今回の調査・審判の過程を通じて間もなく成人となることへの自覚と責任感を深めていること、少年の両親においても環境改善に努力し出院後の受入れ態勢を整えつつあることなどの事情に照らすと、少年に対しては短期間の集中的指導で効果を期待できると考えられ、したがって、本件は一般短期処遇が相当な案件と判断される。)

よって、少年法33条1項、少年審判規則50条を適用して、上文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 池田良兼 裁判官 浦上文男 飯田喜信)

通知書

加古川学園長殿

平成3年5月31日

大阪高等裁判所第三刑事部

裁判長裁判官 池田良兼

裁判官 浦上文男

裁判官 飯田喜信

少年 K・T

昭和46年8月9日生

右少年に対する当庁平成3年(く)第97号保護処分決定に対する抗告申立事件(原審神戸家庭裁判所平成3年(少)第1866号覚せい剤取締法違反保護事件)につき、当裁判所は平成3年5月31日、抗告棄却の決定をなしましたが、その理由中で示しましたとおり、少年に対しては一般短期処遇を実施するのが相当と判断しましたので、その旨勧告の趣旨で通知いたします。

抗告申立書

少年 K・T

右の者に対する覚せい剤取締法違反保護事件について、平成3年5月7日、中等少年院送致の旨決定の言渡を受けましたが、抗告趣旨のとおり不服につき中立てます。

平成3年5月10日

抗告申立人 K・T

法定代理人親権者父 K・H

神戸市中央区○○×丁目×番×号

付添人弁護士 ○○

大阪高等裁判所

御中

抗告の趣旨

原裁判所が平成3年5月7日にした中等少年院送致決定を取消し、これを原裁判所へ差し戻す旨の決定を求める。

抗告の理由

後日提出します。

平成3年5月20日付け抗告理由書

原決定は、少年の非行に対し処分が著しく重く、不当であるのでこれを取消し原裁判所に差し戻すよう求める。

一、非行原因

1、生活歴

〈1〉 少年の父母は、性格の不一致(主として父の飲酒、暴力)から昭和56年11月頃、少年が小学校4年生の時に別居を始めた。別居以前から夫婦仲は悪くしばしば夫婦喧嘩を繰り返していたが、このような家庭環境が少年の性格の形成に悪影響を及ぼしたことは否定できない。別居後、少年は父と、少年の弟K・M(昭和49年10月18日生)は母と各同居し、相互の交流は稀れであった。

少年の父母は、昭和57年3月8日、少年の親権者を父、弟K・Mの親権者を母と定めて協議離婚した。離婚後も少年は父と同居を続けた。

当時、少年は小学校5年生であり、少年期の重要な時期に父母の別居、離婚とという自己の責任外の事由により生活環境が変化し、父及び母はこの変化に対し少年を正しく順応させようとせず、少年の淋しさや家族愛の欠如を理解することなく少年を放任した(後日、少年鑑別所に面会に行った母にこの時期の少年の淋しさを洩らした)。躾、善悪の判断等少年の年齢に相応する家庭教育もなされないまま放任され、淋しさをまぎらわせようとして悪友に代償を求め、半年ほどの間に善悪の判断もなく悪友に従う自主性のない少年の資質が形成され始め、シンナー吸引という非行に走り始めたといえる。

〈2〉 昭和57年秋、母は小学校の担任教師から呼出され、少年の非行が漸増しもはや学校の手に負えない旨指摘されたので、母は父と協議し少年の監護に関しては父母共に協力することを約束し、母が少年を引取り同居すると共に近隣に居住する父の許へも出入りして父母との交流を一層深めるようにした。

当時、父は、塗装工として稼動して夜の帰りが遅く、母は生活のため離婚後の昭和57年5月から弟のK・Mを託児所に預け神戸市中央区の○○辺のスナックで深夜まで一生懸命に働いていたので父母共に実質的に少年を十分監護し得る状態でなく、父母協議後も依然少年にまで手が廻らず放任され非行は進んだといえる。

昭和58年、少年が小学校6年生になって、シンナー吸引等で児童相談所の指導により教護院(若葉学園)に同意入院させたが、間もなく少年は逃走し母の許に帰ったが母もこれを黙認した。

〈3〉 昭和59年10月、弟K・Mは急性骨ずい性白血病で神戸市立○○病院へ入院することとなり、約1年後の昭和60年10月に弟K・Mは退院したがその後約1年間およそ1ヶ月毎に入、退院を繰返し、昭和62年、一時小康を保ったが平成2年冬、再度発病したため同病院に入院し、以来、現在に至っている。白血病は生命に関する重大な疾病であり、母は昼間は弟K・Mに付添い看病し夜はスナック(平成元年9月以降は母自身で経営するスナック)に勤めたので少年を監護する余裕がなく、父は、この間も少年を放任しており、少年の非行は深化し数回家庭裁判所の審判を受ける結果となった。

しかし、少年は中学生の頃、自ら自発的にシンナーの吸引を断ち平成元年6月以降本件まで非行的行動を謹しむ等評価すべき面がある。

〈4〉 少年の監護について父母と協議した昭和57年秋以来、少年は原則として母の許で生活しているが、父は少年に対し時折、小遣い程度のものを与えるだけで少年の全ての面倒は母がみており、母は父から少年の養育料を貰った覚えはない。

母の不在の時は少年の祖母(母の母)が少年の面倒をみているが、少年は祖母に対し非常に優しく接している。このことは、少年の性格の優しさのあらわれと思える。

本件非行日、少年が母から母の部屋の鍵を借りたのは、今までに渡された鍵を何回も紛失していたので、少年が母の部屋の鍵を持っていない事もしばしばありこの時も鍵を紛失したためである。

本年初め頃から少年は、少年の友人の妹であるC子と交際を始め、月に20日ほどC子宅に外泊する状態が続いているので、母は彼女に会い良い子なので安心すると同時にこのままで済ませられる問題ではないので双方の気持を確認し、できるだけ早く結婚させたいと考えている。

〈5〉 本件非行は、共犯者である成人のBから勧められ好奇心をもって始めたものであり、少年の自主性の乏しさが指摘されるが本件に至る少年の経過をみると、本来、父母の監護のもとで少年の教育及び自主性を計るべきところ、これを父母が怠り又中学卒業後、正当な職業にいったんは就職したが少年の無断退職についてもこれを放任し、自ら少年に対する監護権を放棄した感がある。

2、父母の監護

少年の非行の原因については、父母の監護責任に起因するところが少なくない。本件少年の経歴から少年がその資質を形成し、行動の選択に迷う大切な時期に少年を理解することなく放任し、父母の少年に対する監護の義務を遂行すべき努力を怠った。即ち、父母が別居、離婚した時点での少年の家庭愛の欠如による淋しさ等を看過し、家庭での躾、教育を怠り、学校の父兄会等に出席せず担任教師から少年の非行化を指摘され、児童相談所の指導に従い少年を教護院に入院させたが、少年が逃亡、帰宅しても児童相談所、学校等に連絡して少年の更正を計ろうとせず、これを放任した。又、母が弟K・Mの看病に手をとられ少年を監護する余裕のない時期に父は少年に接しようともしなかった。

家庭裁判所で保護観察の審判を受けても少年を保護司に面接させる努力を怠り、中学卒業後、一たん正業に就き、間もなく父母に無断退職した時も少年と話しあい、再度正業に就かせる努力を怠り、少年がパチンコなどをして遊興にふけり無意徒食の生活をしていてもこれを放任し、少年が女友達の家に外泊を繰返しても少年の意向を質し双方の家庭で話し合って常識ある解決を計ろうとせず放任したものである。

右事実は、少年の家庭内暴力等によって積極的に父母の監護義務を怠ったものではなく、むしろ父母が少年に対する監護の方法を知らなかったもので父母に監護能力がないわけではない。本件非行により父母は事の重大さに気付き、遅まきながら今回は積極的に監護し、少年を常識ある成人として社会に送り出したいと決意している。

右事実より少年の非行の最たる原因が家庭及びその周囲の環境にあったと考えられる。

3、少年の資質

少年は、自主性がなく付和雷同型で継続的非行事実から既に非行的資質が確立されているかのようであるが、決してそうではない。

少年は中学生の時、自らシンナー吸引を断ち平成元年6月の家庭裁判所の審判から本件非行まで約2年間非行的行動を謹しむことができ、また、祖母に対して極めて優しく接している等反非行的資質をも有するものである。

本件決定の直接の理由となった覚せい剤の使用も少年が能動的、積極的に行ったものではなく友人のすすめによる好奇心からであるが覚せい剤のおそろしさを充分知り反省している。

少年は既に成人としての意識を確立しつつあり、本件非行についても成人である共犯者との均衡を考え、共犯者と平等の裁判を希望し、素直に罪を償い、過去の非行を反省して一日も早く更正して立派な成人として社会生活を送ることを誓っている。

二、審判後の事情

1、父母の変化

父母は平成元年以来、本件に至るまで著しい非行のなかったことに些か安心していたが、本件により少年の気持を理解し再犯の防止、更正に対する努力の乏しかったことを痛感し、度々鑑別所で少年に面会して少年を励ますと共に・父母協議して少年を迎える家庭環境を改善することを約束し、また、少年の出所に際し少年の就職先(○○商店、代表者○○)を決める等努力している。

中等少年院送致決定の言渡し後、父母は改善された家庭環境に早く少年を迎え、父母の監護の下で立派な成人として社会に送り出す意向を強めている。

2、少年の意向

本件非行を認め、その罪を償うことに素直に順応している。

少年は19歳9ヶ月であり既に成人としての意識が強く、成人に達すればそれを契機として少年時代の非行を反省し、少年時代の生活に訣別を告げ立派な社会人として生活することを誓っている。故に成人に達してなお、少年院に在院しなければならない(少年院法第11条但書)中等少年院送致決定は不満である。従って、成人である共犯者との衡平の関係もあり成人に達した時点で成人としての裁判を受けるのであれば納得できると思い、審判廷で少年法第20条決定を主張した。

三、結語

少年の非行は、父母の離婚、劣悪な家庭環境及び父母の少年に対する理解の欠如等から始まり、数回に亘り家庭裁判所の審判を受けるまで慚増したものであるが、その間、少年は自らシンナーを断ち、また、平成元年から本件非行まで非行的行動を謹しむ等些かであるが少年自身の資質に更正への端緒を有していることが伺える。

また、少年は、本件について罪を償った後は覚せい剤の使用は勿論、非行的行動を断ち、自己の環境、資質を改善し常識ある成人として更正することを誓っている。

これに対応して父母は、家庭環境を改善し、少年の就職先を決め一日も早く少年を家庭に迎え、少年と共にその更正に努力することを切望している。また、少年は現在、少年の友人の妹であるC子と交際中であるが、双方の同意があれば一日も早く結婚させて家庭を持たせ、少年を責任ある立場に置くことによって少年の更正を計りたいと願っている。

原決定は、少年の家庭及び友人等周囲の環境の劣悪性及び本件非行の継続性を考慮に入れ、中等少年院に送致する旨を決定したものと思うが、以上の事情よりして保護観察、もしくは、少なくとも短期にとどめても更正への効果は充分であるといえるので長期の中等少年院送致の原決定は著しく不当な処分といわざるを得ない。よって、原決定の取消と差し戻しを求める。

平成3年5月20日付け抗告理由書添付の陳述書

私とK・Hが結婚したのは、昭和45年でした。昭和46年に長男K・Tを出生し、その3年後昭和49年10月に次男K、Mを出生

長男の経暦

昭和53年4月○○小学校入学、昭和54年○○小学校へ転校、昭和59年3月同校卒業後昭和59年4月○○中学入学、昭和62年3月同校卒業後父の勤める会社につとめるが長続きせず現在に至る。

次男K・Mの経暦

昭和56年○○小学入学3年後○○小学校へ転校するが4年生の時に突然健康を害し、医師のしんだんによれば急性骨ずい白血病と発覚、その後入退院をくり返し現在も入院中であります。私と主人とは昭和56年に性格の不一致で協議りこん致しました。

その結果は長男K・Tを主人が引取り次男K・Mを私しが育てることになりました。

昭和57年にK・Tの先生から母に一度話がしたいということで学校へ行き話の結果少々手におえない少年になっていると忠告を受けました。主人とも話し合いをしてK・Tも私しが育てることになりました。

昭和59年10月次男のK・Mが病気になりK・TにかまってもやれずK・Mに手を取られる毎日でした。K・Tが少々悪い事をしてもふびんに思い教育が甘かった。結果が今日をまねきもう少しK・Tに目がいっていればと思いただ反省の念でいっぱいです。

それともう一つK・Tが非行に走った原因はやはり子供には両親が必要だということがよくわかり、かていかんきょうをよくするように務力するつもりです。

母としてもK・Tが自由になれば暖かい家庭をきずきK・Tを向えるように努力します。就職はK・Tがきぼうしていたおじさんの会社○○商店(代表者○○)につとめられるようにしております。

社長も一度面会に行き話し合う事になっています。覚せいざいのつみをつぐなった後はK・TきぼうしていたまたK・Tの思いとC子さんの思いが一ちすれば、できるだけいっしょうに生活されてやりたいと思っています。C子もK・Tが自由になる日をまっていると言っています。

父K・H

この手紙に書いているように父さんもK・Tの面倒を見てやれず母さん共々責任を感じているが、これからの人生自分自身が意志を強くもって何事も人様の責任にせず強く生きる人間になってほしいと思います。父と母も再婚して明るい普通の家庭を築く事に努力しますのでそれにはK・Tの協力が必要です。一度K・Tの気持ちもこの機会に手紙又は面会の時に聞かせてほしいと思います。

父 K・H

母 K・M子

診断書

神戸市長田区○○町×丁目×番×号

K・M様

昭和49年10月18日生

1 傷病名急性骨髓性白血病

1 附記上記のため平成3年2月12日より入院中です。

上記の通り診断致しました。

平成3年5月17日

神戸市中央区○○町×丁目×番地

神戸市立○○病院

医師○○

平成3年5月24日付け抗告理由追加書(少年が作成した書面)

ぼくは家庭裁判所の決定に不服がありますので抗告をしました。不服のわけをこれから書きます。

〈1〉 共犯の子はみんな刑事処分になっているのになぜぼくだけ少年処分なのか

それに、共犯の1人の子は、ぼくと、おなじ学年ですのにどうして自分だけが、ちがう処分なのか

〈2〉 調査官は、あなたを前からよくしっているし、あなたの事を調べても短期少年院でもなおるから、それで話しをすすめていこうよといってましたけど審判の時に調査官はぼくにいってた時のことのように裁判官に話してくれませんでした。自分ではよく反省してこれからの事など考えていましたけれど、ぼくの事を話してくれなかったので、どうしたらいいか分らなくなった事と

〈3〉 その時自分は、どうでもいいわて気持ちになり、審判中に、生活の面での事や対人関係の事で裁判官にある事ない事を言ってしまったし、自分の気持ちと反対の事ばかりいってしまたし、ヤクザの人達とずうとつきやいしてたやかけごとばかりしてたて、そうゆうふうな事などしてもないし、つきやいもしてなかたのにしてたと裁判官にいろんな事をいってしまいそしてよく反省し、これからどうすれば自分のタメになるかなどきちんと考えていましたけどそんな事を一言いえず、少年院にいってもなおらないって自分からいってしまいこのよう結果になってしまったので抗告をしました。

〈4〉 長期の収容が不服かといいますと、鑑別所にいる時調査をうけ、いろいろ調査官がぼくの事を調べあなたは、短期の少年院で絶対なおせるから刑事処分ていゆうのは、やめなさいと調査にくるたびにいってくれてましたけれど、ぼくは、共犯の子と、おなじ事をしたんだからおなじようにしてほしいていて調査官の話しを聞ませんでしたぼくも十分短期少年院でもなおせる自心もその時ありましたし、そうできるとおもいましたけど、共犯の子たらは、みんな、刑事処分になっているのになぜぼくだけ少年処分なのかとばかりおもっていてこうゆう事になり審判でもぜんぜん自分の気持ちもいえずしていなかった事までいってしまいその場でカァーとなってしまた言葉で長期処分でゆう結果になってしまって後悔しています。自分の気持ちや反省した事などいえずにこのような結果てなった事を、でも少年院に入った事を今は自分のタメにはよかったとおもっています、もしあのまま覚せい剤を打っちつづけていれば本当に自分はダメになっていたし体もボロボロにいたとおもうからです、それに今までの自分をよくふりかえりよく考えこれからの事を考えれば、少年院に入ってよかったとおもています、もう今の自分は、この前までの自分じゃありませんし、もうよく反省し考えています、十分に少年院にでてからの事も考えています、それは出た時の仕事の事です、行き場所も決っていますし、自分にやっていける自信がありますただ、やっぱし外に出た時に仕事をするタメには、それなりの体力もつけなくては、いけないしじっくりと自分をもう一度よくふりかえる時間もいるし今ごの事も考えなくては、いけないし、それなりのリズムをつくらなければ社会に、いっきなり帰っても急には、出来ないからやっぱり少年院で一からやりなおし、そしてもう20才になるし、これからはも子供じゃない成人になるのだから成人としての体力、せいしん、今までのようなおこないをしないつよー、意志をつけるタメにも、少年院でよく勉強をして仕事に行くタメの体力もつけなくてわいけませんがそれは、自分でもよくはかりましたし、自分でもそうゆうふうにおもっていますしその気持ちでいます、だから今のぼくは、審判や調査の時とは、気持ちもこれからやっていこうといゆう前むきの考えもぜんぜんちがいますそして自分のおもった事していない生活のこと、そして裁判官にその場やけくそになりいってしまった言葉で長期処分とゆう結果になったから短期にしてくれとゆう気持ちありますし、今は、それより自分から本当に直そうとゆう前むきの気持でいますので短期処分でも、十分にやっていけると全体におもうからです。

そして、もし出園後の事も考えています、でたらお父さんといっしょうに仕事したいですけど、それじぁあまえてしまう事もあるとおもうので、しんせきのおじさんの事で仕事します、それは、お母さん達もそういっているし、帰って来たら、もう仕事を決てくれてるから、ぼくもそれの方が自分のタメになると思っています、信用がやっぱしかかていますからそれだし、この人達をもう裏切る事は、できないてよりいそうがんばれますしだからそないしたいとお思いますそして家に帰った時は、仕事にがんばり覚せい剤しいている人達とは、つきやいをせず、自分の意志でそうゆうふうにより強い意志をもち将来のことをよく考えて生活をしていきたいです。

ぼくのお父さんお母さんは、ぼくが小学校4年生の時に、りっこんをしました、けれどぼくは、さみしい事などありません家も近所だし、たまにいしょうに、ごはんを食べにいきますし、ただもうちょとお父さんとお母さんがあってくれたらなぁとお思うだけです

ぼくには弟がいます弟は、ガンで入院しています、お母さんは、弟のところに行くのに電車でずといっていますなにもできないけれどぼくが仕事をして電車代ぐらいあげたいとおもいます。

ぼくには、外でまっている彼女がいます、もうつきやって三年になります、今その彼女にさびしい気持ちにさせています、けっこんしようなっていっていますけれど、今のぼくじゃできません、だから少年院で早く今までわるかったところ、仕事にいける体力、せい神をつけ彼女に安心させてあげたいです。だから自分は、やる気がありますしこれから成人としてがんばっていこうと本当に心からお思っていますので短期処分でも十分やっていける気持ちがありますので長期じゃなく短期処分にしてくださいと、たのみましたおねがいします。

K・T

平成3年5月30日付け抗告理由補充書

1、さきに提出した抗告理由書第二項審判後の事情1に述べている少年の出所に際しての少年の就職先について、少年の父母は、知人の○○と相談し同人の経営する○○商店に勤務させる予定にしていたが、少年の将来と仕事が永続きすることを考慮し○○が事実上、取締役(別紙経歴書参照)をしている○○建設株式会社が適当であるということとなり、右会社代表取締役○○の承諾を得て少年の就職先を決定した。

2、右会社は、主として建築工事の請負等を営み従業員15名、年商約10億円で中小企業のうち小企業の上位程度にランクされ堅実な会社である。同会社の本社は、別紙法人登記簿では神戸市西区○○町○○××××番地の×であるが、これは代表取締役○○の住所地であり、実際は神戸市兵庫区○○×丁目×番×号に事務所を置き営業をしているものであり、同会社の主たる取引先は、神戸市、兵庫県、○○興産株式会社(本店神戸市)、株式会社○○(本店東京都)等である。

3、代表取締役○○は、兵庫県立○○工業高等学校建築科を卒業、昭和38年4月、一般建築請負業○○工務店を創設、同47年3月24日、組織変更して右会社を設立し約30年に亘って実績をあげて現在に至っており、同人は、少年のことを聞き、少年の父母、知人○○と協力し少年の更正に努力しようということになったものである。

4、少年が同会社に勤務することになれば、母の家から通勤することになるが、技術がないのでとりあえずは建築現場での手伝いをし、2、3年もすれば相当な技術を習得し一人前の仕事が出来るものと考えられ、初任給は1ヶ月14、5万円位を予定している。

5、以上の如く、少年出所後の環境も整備され、父母も少年の更正に努力をすると共に就職をすることによって堅実な会社の従業員としてその代表者の監督のもとに立派な成人として社会活動が行えるものと考えられるものである。

添付書類(編略)

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